~する前に一覧><脱サラをする前に>*リンクフリー 無断転載禁止 2011年12月更新

禁煙をする前に(2)

まえがき・1章  2章  3章  4章

 <禁煙をする前に第2章>

それでは、この章では私がこれまでに、禁煙に失敗したときのお話をしましょう。

正確に言うならば、今の状態も決して「禁煙に成功した」とは言い切れません。なぜなら、またいつ吸い始 めるかもしれないからです。
「ずっと禁煙してたけど、お酒の席でつい一本吸ってから元に戻った」
とはよく聞く台詞です。こういうケースを「元のモク(タバコのこと)阿弥」と言いますが、本当に禁煙を成功さ せるのは茨の道です。
 
その意味で言いますと、禁煙は「死ぬまで兆戦」と言うこともできます。なんか、人生と似てますね。…それ はともかく、今はまだ、禁煙継続中ですから、昔の失敗談をお話ししたいと思います。

「よし、禁煙だ」と心に決めて、寝床につく前に最後の一本を吸いました。しかし、一晩眠り朝を迎えます と、起きたばかりの朦朧とした意識の中でタバコを吸いたくなります。布団から起きあがり、ヨタヨタと歩いて いつもの場所に座りいつものようにタバコに手を伸ばします。しかし、タバコが見つかりません。いつも置い てあるタバコがいつもの場所にありません。その周りを見ると灰皿もありません。しばらく考えて、思い出し ました。

「禁煙したんだ…」。

前夜のうちに「決意が鈍らないように」というか、「決意を自らに言い聞かせる」ために、タバコと灰皿を目 につかないところに隠していたのでした。このときの問題点は「目のつかないところに隠す」ことです。本当 に禁煙を決意しているなら「隠す」のではなく「処分」しなければいけません。

でもまぁ、そんなことは些細なことですから脇に置いておきましょう。
タバコと灰皿がいつもの場所にないことで、禁煙の決意を思い出しました。そして、禁煙を開始してからま だ6~7時間ですから、それほど苦しさも感じません。ですから、喫煙への渇望を抑えることもそれほど辛く はありません。最初に襲ってくる禁煙の苦しさはこのあとに待っています。そうです。朝食を食べ終わったあ との、そのときです。
 
喫煙者の方はわかると思いますが、「タバコを吸いたくなるとき」というのがあります。どうしようもなく吸い たくなるときです。そして、その「とき」はだいたいにおいて喫煙者の間では決まっています。
 
まず、ご飯を食べたあと。…というか、「なにかを口にしたあと」です。ご飯とは米粒だけのことを指すので はありません。朝、昼、晩の食事のことですが、食事をしたあとは必ずタバコを吸いたくなります。そして、タ バコを吸いたくなるのは食事のあとだけとは限りません。お菓子やおつまみを食べたあとにも吸いたくなり ます。つまり、なにかを口にしたあとに決まってタバコを吸いたくなります。ただただ、無性に吸いたくなりま す。こうした喫煙者の特性が嵩じた人の例として、つまりはヘビースモーカーということですが、そうした人の 中には、「食事は、タバコをおいしく吸うためにある」とまで豪語する人もいます。このような人たちにとって は、食事はお腹を満たすためではなく、また栄養を摂るためでもなく、「タバコをおいしく吸うため」のもので しかありません。私はそこまでのヘビースモーカーではありませんでしたが、この気持ちはわかります。確 かに、タバコは、単に吸うよりも「なにかを口にしたあと」に吸ったほうがおいしいのです。

次に紹介する「とき」については個人差があるようですが、私はその「とき」の該当者です。その「とき」は、 トイレに行ったあと、です。理由は定かではありません。ですが、不思議とトイレに行ったあとに必ずタバコ を吸いたくなります。あっ、トイレは「大」のほうと決まっています。
 
先ほど、「なにかを口に入れたあとにタバコを吸いたくなる」と書きましたが、口に入れるのは食べ物とは 限りません。飲み物でも吸いたくなることがあります。ですが、飲み物の場合は、「あと」というよりは、「なが ら」のほうが似合っているでしょうか。  

「コーヒーを飲みながら吸うタバコはおいしい」などと言う人は少なからずいます。ここで注意が必要なの は「おいしい」のが、タバコを吸いながら飲む「コーヒー」ではないことです。あくまで「おいしい」のは「タバコ」 です。このような喫煙者ですから、コーヒーを飲んだ後、または飲む合間には無性にタバコが吸いたくなりま す。その欲望が満たされないときは苛立ちが生じてきます。  

今、「コーヒー」を例に挙げたのは、単に私にとってタバコと相性が合う飲み物が「コーヒー」だからです。 私の場合はコーヒー以外はタバコに合いません。例えば紅茶などではタバコをおいしいとは感じません。も ちろん、これといった理由などありません。あくまで個人の嗜好ですから説明のしようもありません。元来、 タバコも嗜好品です。このように考えるなら、タバコを吸うのにも理由などありません。「吸いたい」から「吸 う」。ただそれだけです。

さて、このようにタバコを吸いたくなる「とき」があるにも関わらず、禁煙を決断するのですから相当な決意 を持って臨んでいるはずです。しかし、悔しいことにそれほど強固な決意で禁煙を決行したとしても、これま でなんども失敗しています。しかも悲しいことに、ほとんどが僅か1日であえなく頓挫しています。重大な決意 で禁煙を決行したにも拘わらず2日と続かないのは自分としても情けない思いが身体中に染み渡ります。  

その理由はと言えば、自ら認めるのも悔しいですが、単に「意志が弱いから」にほかなりません。本当に 恥ずかしくふがいないのですが、それが真実です。  

強固な覚悟で禁煙を決断し、そして迎えた初日、朝食のあとの吸いたい気持ちを我慢し、午前のコーヒー タイムのときも辛抱し、昼ご飯のあとの一服の誘惑も拒絶し、午後のコーヒータイムではタバコのことを忘れ たかのように振る舞い、晩ご飯のあとにやってくる喫煙への強い渇望感を抑えこみ…、…、。…、…それだ けではありません。これら以外にも1日を過ごすうちにはタバコが誘惑する機会は数多あります。  

例えば…。会社に着いたとき、書類を書き終えたとき、アイディアを練っているとき、ほかの人がタバコを 吸っているのを見たとき(しかもとてもおいしそうに)、帰路の電車で改札口を出たとき、etc数え上げたら切 りがありません。そうした誘惑を乗り越えてやっとの思いでたどり着いた1日も終わりになろうかという時刻 …。  

自室の机に向かい新聞を読んでいますと、目は文字を追っているのですが、頭の中ではタバコの映像が 浮かんでは消えます。そのような状態のときは、新聞記事の内容に集中できずただ字面を目でなぞってい るだけになります。気分転換のつもりで顔を上げ目を上方に向けますと、気分転換をあざ笑うかのように、 今度は先ほどよりくっきりとタバコの映像が頭の中に映し出されます。「こんなことではいけない」と、タバコ を頭の中から払いのけるべく、顔を横に振ってみたり、目頭を抑えたり、こめかみを軽く叩いてみたり、立ち 上がって歩いてみたり、いろいろと試みてみますが、それでもタバコの映像が頭の中から消えることはあり ません。消えるどころか益々大きな映像となって頭の中一杯に埋め尽くしていきます。仕舞いにはタバコの 映像の上の部分に「煙草」と、まるで映像の題名であるかのように太い文字が浮かび上がりました。そこ で、私は考えます。

「なんでこんなに苦しい思いをしなければいけないのか?」
「タバコなんて吸っても吸わなくても大した問題じゃないよな」
「自分ひとりのときに吸う分には誰にも迷惑をかけないじゃないか」  

いろいろないい訳を考え始めます。つまりは吸い始める理由を探しているのです。そこまでいきますと、タ バコを吸ったときのあの快感が強く思い出されます。そうです。あの快感が頭の中に蘇ってくるのです。そう なりますと、とうとう「まぁ、今回はこのくらいにしといてやるか。また、この次に頑張ろう」。  

かくして深夜、自動販売機に自転車を走らせる私がいるのでした。ワクワクした気分で家に戻り、タバコの 先端に火を点け、思いっきり吸いこんだときの快感、クラクラとくる快感。それはそれは言葉では言い尽くせ ない気持ちの良さがあります。もちろん、そのときには禁煙に挫折した後ろめたさなど微塵もありません。

これまでの体験談は僅か1日で挫折したときのお話ですが、次は禁煙が1週間続いたときの挫折談です。

1週間といえば1日が7回ですから長いです。1日の間になん度も経験する我慢、辛抱、忍耐それぞれを7 回掛け算をすることになります。それはそれは辛いものがあります。しかし、不思議なことも起こります。

なにかの弾みで―“弾み”という表現がピッタリなほど偶然に過ぎません―禁煙の1日目を越えることがで きたとき、つまり2日目の朝を迎えられたとき、自らが褒めるに値する自分が現れます。なにしろ禁煙を丸1 日貫徹したのですから褒められるに値するのは間違いありません。その褒められるに値する自分にまた出 会いたいがために次の日も禁煙をすることができます。このことは、2日目も同じようになんとなく―“なんと なく”という表現以外に相応しい言葉が見つからないほど確たる根拠がありません―禁煙の苦しさに耐える ことができたことを示していますが、その頃になると「耐える」という言葉を使う必要がないほど辛さも感じな くなっています。不思議です。ですが、決して、タバコのことを忘れているわけではありません。喫煙への渇 望は相変わらずあります。それでも、深夜にタバコ自販機に走らせるほどの強い渇望感ではないのは確か です。
 
このように書きますと、読者の中には、そのままずっと禁煙を継続できそうな感じを持つ人がいるかもしれ ません。しかし、それがまた不思議ですが、ちょうど1週間経ったときに無性にタバコが吸いたくなるのです。 このような気持ちになってしまうのは、たぶん「自分の中で勝手に区切りをつける」からだと思います。
 
今、「たぶん」と他人事のような副詞を使いましたが、これは、自分で自分の気持ちを捉えきれていないか らです。よく言いますよね。「自分のことを一番わかっていないのは自分だ!」と。
 
本当のところはわからないにしても、現実問題としてちょうど1週間を過ぎたところで、無性にタバコが吸い たくなるのは事実です。しかも、「区切りをつけている」わけですから、そのときは我慢をする必要もなくなっ ています。そこで、深夜に自販機に走る、という次第です。
 
今、「1日」と「1週間」の2つの体験談を振り返ってみましたが、「1日」も「1週間」もさほど違いはないように 思います。長さが違うだけで、基本的には、「いつか吸おう」と考えていることに違いはありません。つまり、 「区切りをつけていた」からこそできた禁煙と言えそうです。しかし、本来の禁煙は期間が無期限でなければ いけません。そうです。無制限1本勝負です。そうでなければ、禁煙ではなく休煙です。そうです。私は今ま で休煙をしていたのでした。そして、今回私が実行しているのは本当の意味での禁煙でした。
 
では、次章ではその禁煙に成功している理由について考えてみましょう。

第 2 章 おわり

まえがき・1章  2章  3章  4章
~する前に一覧><脱サラをする前に

PR