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~する前に一覧><脱サラをする前に*リンクフリー 全頁無断転載禁止 2011年12月更新

ビジネス書を読む前に(1)

はじめに> <自己啓発書> <経営学書> <自伝書

<はじめに>

 現在、年間に出版されている本の数は数万冊を越えていると言われています。その中には本になるに値 する本もあれば、そうでない本もあります。こうした状況に陥ったのは出版業界に様々な問題があるからで すが、その大きな要因として、本の取引形態が「委託販売」という方式になっていることが上げられます。こ の問題点に関してはいろいろと議論があるようですが、それはともかくとして、現実問題として出版業界は 「多すぎる出版点数」という問題に直面しています。
 このような状況の出版業界ですので、本の内容の品質につきましては玉石混交です。今回、私が取り上 げるビジネス書においても同様です。本当に役に立つビジネス書から「あわよくば売れるかも」程度の本ま で、その品質が問われることもなくたくさんの本が書店に並んでいます。
 ビジネス書の出版には大きな傾向があります。私は「好ましい」とは思っていませんが、現実としてありま す。それは、安易な発想による出版です。
 例えば、ある出版社が出した本が「売れた」となると、すぐに同じような題名の本が他の出版社から出版さ れます。このように「売れた本」に「似せた題名」の本が出版される背景には、読者が「勘違いして購入す る」ことを当てにしている出版社の姿勢があるように思います。そうとしか思えない「題名」、「出版時期」の 本が幾つもあります。
 昔から「二匹目のドジョウを狙う」と言いますが、このような形態で出版される本は「二匹目のドジョウ」とは 違います。単に、読者の「勘違い」を誘うものに過ぎません。読者が「勘違いをして購入する」ことを当てにし て出版される本が価値のない本であるのは言わずもがなです。強いて言うなら「二番煎じ」でしょうか。
 この「二番煎じ」。出版社には余程魅力的に映るようで、「二番煎じ本」の出版があとを絶ちません。こうし た状況は、プロの編集者でも「売れるかどうか」わからない現実の中で、自らの才覚で出版するよりも「二番 煎じ」として出版したほうが確実に売上げが見込めることを示しています。また、出版社のこの姿勢は、ビジ ネス書の売上げが低迷していることの証明でもあります。
 この「二番煎じ本」とも関係がありますが、冒頭に書きましたように、本の出版点数が多いのは「委託販 売」という取引形態が大きく影響しています。委託販売方式は「売れ残った本」を返品をすることができる販 売方式ですが、この返品分の販売金額を返さなくて済むように出版社は次々に本を出版するようになって います。詳細は省きますが、この委託販売方式が「多すぎる出版点数」の大きな原因となっています。この ような出版業界の自転車操業状態が「二番煎じ本」の元凶でもあります。
 このような出版業界の現状では、多くの出版社が「二番煎じ本」を当てにする体質になるのもわからない ではありません。しかし、読者に対して価値ある本と出会う機会を失わせていることは憂慮すべきことです。
 「似せた題名」の本はもちろん魅力的な本とは言えません。何故なら、「売れた本」のモノマネでしかない からです。テレビで見る「モノマネ芸人」がいくらうまかろうと「本人」の魅力には敵わない、のと同じです。 「二番煎じ」は「薄く」ておいしくないのです。
 しかし、あるビジネス書が「二番煎じ」かどうかは、「一番目」の存在を知らなければわかりようがありませ ん。「一番目」の存在を知ってこその「二番煎じ」です。まかり間違うと、「二番煎じ」を「一番目」と思い込み、 「二番煎じ」の信奉者ともなりかねません。
 「一番目」、「二番煎じ」をわかりやすい名称に変えるなら、前者は「ホンモノ」、後者は「モノマネ」です。こ の名称に変えるなら、「二番煎じ」の物足りなさが伝わるのではないでしょうか。
 アヒルは最初に目に入ったものを親と信じる習性があるそうで、仮に最初に目にしたのが人間だったとき は、その人間を一生、親と思って生きるそうです。やはり、アヒルにとっては、人間が親であるよりはアヒル が親であるほうが幸せなアヒル人生を送れるのは言うまでもありません。人間を親と思ってしまうアヒルにな ってはかわいそうです。
 かわいそうなアヒルにならないためには、「モノマネ書」を「ホンモノ書」と勘違いしないことが大切です。当 然ですが、「ホンモノ書」を読まなければビジネスの真髄に触れることはできません。間違っても「モノマネ 書」に接して「真髄に触れた」などと錯覚することがあってはなりません。
 
 それにしても、あまりに多くの本が出版されすぎています。書店のビジネス書コーナーには山のように本 が並んでいます。これらの中で「ホンモノ書」に出会うのは至難の業です。このような状況では、初心者がビ ジネス書を読む場合に、運の占める割合がどうしても高くなってしまいます。
 私がビジネス書を本気で読むようになったのは割合遅く30才を越えてからです。20代の頃も読んでいまし たが、それほどたくさんの本を読んでいたわけではありません。せいぜい年に数冊がいいところです。30才 を越えてから本気になったのにはもちろん理由があります。それは脱サラでラーメン店を始めたからです。 なにしろ生活がかかっていますから経営に関するビジネス本を読まざるを得ませんでした。暇さえあればビ ジネス書を読んでいました。もちろん、暇がなくても読んでいました。
 そのようにしていろいろなビジネス書を読むうちに「ホンモノ書」と「モノマネ書」の存在に気づき、そして違 いについて考えるようになりました。そうした中で、「モノマネ書」にも2種類の本があることを知りました。1つ は、昔からある古典的人生指南書を土台にして現代に当てはめて書かれた本です。あと1つは、先に書き ました「売れた本」と同じような題名、もしくは同じ傾向の本です。一言で言うなら「似せた本」です。
 ここで私の基本的考えを述べておきたいと思います。私の読書の経験から考えますと、「古典的指南本」 は「ホンモノ書」といえます。なぜなら、時間という、歴史という試練を乗り越えてきているからです。これほど 過酷な試練はありません。それを乗り越えてきたのですから「古典的指南本」は「ホンモノ書」と呼ぶに値す る資格がある、と考えています。

 一般に、「ホンモノ」の反対語は「ニセモノ」です。ですから、本来なら「ホンモノ書」に対しては「ニセモノ書」 が相応しい対語です。では、「ニセモノ書」といった場合、どのような本が思い浮かぶでしょう。
 やはり、「いかがわしい」といった表現がピッタリでしょう。具体的には、あまりに精神的な部分に偏った本 です。例えば、脳の活性化などを扱った本などがあてはまります。まだ科学的に証明されていないことがら をあたかも事実であるかのように綴った本などは要注意です。中には悪質なものもあり、インチキ宗教に似 たような主張が展開されています。まかり間違ってこのような「ニセモノ書」に心を奪われてしまってはその 後のビジネス人生を台無しにしてしまいます。このような本が一般書店にも流通しているのが昨今の出版 界の問題点でもあります。
 しかし、大方の人はそうした本を手にすることは、やはり少ないでしょう。大方の人はそうした本の欺瞞性 を見抜いているように思います。私の感じるところでは、ごく僅かの人しか信用する人はいないのではない でしょうか。ですから、敢えて「ニセモノ書」について書く必要を感じませんでした。
 「ニセモノ書」に比べ、「モノマネ書」は「ホンモノ書」との境目が微妙です。もちろん「モノマネ書」は「ニセモ ノ書」の範疇に含まれますが、「ニセモノ書」ほどあくどいとは言いきれない部分があります。ですが、「モノマ ネ書」を読むよりは「ホンモノ書」を読んだほうが役に立ち、真髄に触れることができるのは間違いありませ ん。
 先に書きましたように、「モノマネ書」は「ホンモノ書」と見分けがつきにくいのが実状です。かなりの量の、 しかも年代にまたがってビジネス書を読んでいませんと、判別はつきません。ですから、若いビジネスマン が「モノマネ書」を「ホンモノ書」と思い、感動することもままあります。しかし、「ホンモノ書」を読んでいる人に とっては、単なるモノマネ、焼き直しとしか映りません。
 「モノマネ書」の特徴として、「読みやすさ」が上げられます。一般に、「ホンモノ書」はある程度の根気と集 中力が伴わなければ読み進めることができません。それに対して、「モノマネ書」は読みやすく書かれてい るのが特徴です。いわゆる「とっつきやすさ」が「モノマネ書」の身上ですので気軽に読むことができます。こ の点は長所です。しかし、「読みやすさ」は裏を返すなら、表面的、表層的ということでもあります。つまり、 深く掘り下げて伝えていないことです。ビジネス書に限らず、どんなことでも「真髄」は深く掘り下げたところ にしか存在しないことは言うまでもありません。
 ときと場合によっては、「ホンモノ書」を読んだとしても、真髄に触れることができないこともあります。「とき と場合」とは、その時点での読者の人生経験量や知識、感性のレベルです。掛け算割り算を理解するのに 足し算引き算を理解していなければ無理であるように、真髄を理解するのには読者の側の状態、態勢も大 切な要因です。運良く「ホンモノ書」を読む機会があったとしても、それを受け入れるだけの受容力が読む 人に備わっていなかったなら真髄に触れることができません。このように、「ホンモノ書」の真髄を理解する には読む人が出会うタイミングもとても重要です。「ときと場合」は決して侮れない要因です。
 話を戻しますと、「モノマネ書」は「表面的」「表層的」という性質から「ホンモノ書」の部分部分を抜粋したも のになりがちで、ツマミ食いと言えるものです。例えて言うなら、小説などの「あらすじ」と似ています。
 ある小説について幾人かで話し合うとき、「あらすじ」を知っているだけでも周りの人たちと感想を述べ合う ことはできますが、その小説の真髄、本当に伝えたいことを理解していることにはなりません。小説はあら すじだけでは感動することなどできません。その小説が本来包含している「奥深さ」や「ひとつひとつの語句 や文章が醸し出す襞や綾」などを感じることはできません。難解で完璧に理解できないとしても、あらすじで はなく本編全てを読まなければ真髄に到達することはできません。
 ビジネス書においても同様です。「モノマネ書」は読みやすくとっつきやすい、という利点がありますが、ビ ジネスにおける真髄に触れたいなら、やはりなんとしても「ホンモノ書」を読むべきです。

 次章からは、確率よくホンモノ書と出会う方法を書きたいと思います。

 <はじめに>おわり

はじめに> <自己啓発書> <経営学書> <自伝書
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