~する前に一覧><脱サラをする前に*リンクフリー 全頁無断転載禁止 2011年12月更新

ビジネス書を読む前に(4)

はじめに> <自己啓発書> <経営学書> <自伝書

<自伝書>

 成功者の自伝を読むのは楽しいものです。「楽しい」というより「胸踊る」といったほうが相応しいでしょう か。どちらにしましても、読者にマイナスの影響を与えることは稀で、多くの人が勇気づけられたり、前向き な気持ちになったりするのが普通です。
 例えば、野球好きの子供がイチロー選手に憧れたり、サッカー好きの子供が本田圭佑選手に憧れたりし て、「頑張ろう」という気持ちになるのに似ています。こうした憧れは、成功した人に自分の将来を重ね合わ せ、目標にして、努力や工夫を惜しまない気持ちを沸き起こさせる効果があります。同じように、ビジネス界 における自伝書を読むのは、若いビジネスマンに忍耐強さや積極さを覚醒させ、向上心が湧き上がってく るのを後押しする効果があります。中には、そうした前向きな気持ちになる「きっかけ」になる人もいるでしょ う。また、自伝書に書いてある具体的な事例が参考になることもあるはずです。ビジネス界における自伝書 はそのような意味でとても意義のある本です。
 しかし、「経営学書」の章でも少し触れましたが、「自伝書」はまかり間違うと、単なる「自慢話」に陥りやす いという罠があります。「経営書」を「ステイタス示威」の目的で出版する人がいるのと同じように、もしかする とそれ以上に、他人から「賞賛されたい」「注目されたい」という目的で「自伝書」を出版する経営者もいま す。そして、条件さえ整えられるなら「自伝書」を出版するのは、誰でも可能です。

 本を出版するのにはお金がかかります。もし、本が売れたなら出版に際し要したお金は回収することがで きますが、売れなかったなら要したお金は損失となります。つまり、出版するという行為はリスクを負うことで す。ですから、出版社はそのリスクを「いかに抑えて」出版するかに神経を注ぎます。出版社にとって最も理 想的な出版形式はリスクをゼロにして出版することです。そして、その方法には2通りあります。
 1つは、著者がリスクを全て負担する方法です。この方法は、いわゆる自費出版と言われるものですが、 出版に要する費用を全て著者が負担する形式です。この形式ですと、出版社は全くリスクを負わずに出版 することが可能です。もちろん、出版社には利益が出るような価格体系なっており、出版社はなんの不安も 感じることなく出版することができます。
 あと1つは、「購入する読者が必ずいる」環境で出版する方式です。例えば、経営者が従業員に買わせた り、または会社が買い取って従業員に配布するケースもあります。この方式はある意味、受注生産と同じで すから、先のケースと同様に安心して出版できることになります。
 話は少しそれますが、大学教授が授業に使用する、または参考にするという名目で出版される本も同じ ような方式と言えます。学生という必ず「購入する読者」がいることほど心強い環境はありません。
 それはさておき、今紹介しました2つの形式は「出版社がリスクを負うことなく出版できることであり、そして 利益を得ることができる」ことを可能にします。しかし、そこからは、本の品質に対する責任感などは感じら れず、儲けだけを考えている出版社の姿しか見えてきません。
 このような本の問題点は「本の品質」に対する審査機能が働かないことです。
 ずっと以前、本を出版するという行為はとても敷居が高いことでした。現在のように、誰でもができる行為 ではなく、特別な人だけに与えられる行為でした。本を出版するには、編集者という厳しい審査員のめがね にかなう必要がありました。そして、そのようなシステムが、本の品質を一定の高さに保つ役割を果たして いました。
 なぜ、厳しい編集者の審査を経なければいけなかったか。
 それは、自費出版などと違い出版社がリスクを負うからです。出版した本が売れないということは、即、出 版社の存亡に関わります。ですから、自ずと審査は厳しいものになりました。
 しかし、当時の編集者および出版社が「売上げ」や「儲け」だけを考えていたわけではありません。未来の 人たちに「残しておく価値がある」と判断した本を出版する意義も感じていました。ですから、「儲ける」ことよ りも編集者や出版社が文化に対して負っている使命感から出版された本もありました。使命感の言葉を変 えるなら、活字メディアに従事する者の矜持と言ってもよいでしょう。まさに、そこには「本の品質に対する責 任感」といえるものがありました。その意味で、やはり、出版される本の品質は高いレベルが保たれていま した。
 こうした出版の対極にあるのが、出版社が「リスクを負わず」に出版される本です。つまり、品質を担保す るシステムが機能していませんから、当然これらの本は自伝書として「ホンモノ書」である確率が低いことに なります。
 では、本に対して出版社が「リスクを負っていること」を判断する材料をどこに見つければいいのでしょう。
 答えは、出版社の発する文化です。「文化」というとわかりにくいかもしれませんが、具体的には、それま でに出版されている本やその出版形式が目安となります。
 その出版社が重点を置いている出版形式を見ればおおよその見当はつきます。仮に、自費出版に重き をおいている出版社であるなら「リスクを負っていない」と判断して間違いないでしょう。また、新聞などに「原 稿募集」などと広告を載せている出版社も同様です。
 「原稿募集」という広告を載せている出版社は、送られてきた原稿に対して「自費出版」を勧める営業を行 なうことが多くあります。ときには「自費出版」ではなく「協同出版」という名目で出版を勧めることもありま す。
 この「協同出版」とは、著者と出版社が「協同で出版する」ことを意味しますので、建前上は出版社も「リス クをある程度負う」ことを謳っています。ですが、名目上だけ「協同出版」という形にして、実際は「自費出 版」と変わらない金額を著者に請求する例もあります。こうした悪質な例は、出版業界に無知な著者を貶め る行為で、「協同出版」については慎重に見極める必要があります。もちろん、悪質なこのようなケースは 「協同出版」とは言えません。
 もし、これらのことに該当する出版社であるなら、その出版社から出版される「自伝書」は、やはり「ホンモ ノ書」である確率は低いと思って差し支えないでしょう。
 このような出版社は、自伝を書きたい人から話だけを聞き、当人ではない別のライターに執筆を依頼する こともあります。出版社にしてみますと、本を出版することで「儲け」を出せればいいのですから、このような 形態でもなんの問題もありません。このような形態の場合ではゴーストライターが書くことになりますので、 文章自体に問題は起きません。反対に、素人が書く文章よりゴーストライターのほうが文章を書くことにお いては優れていますので、体裁の整った本になるのは間違いありません。また、著者に請求する金額も高 く設定できますので、出版社にとっては願ってもない形式と言ってもよいでしょう。
 このような出版社でなくとも、ゴーストライターが書いた本というのは数多く見られます。そして中には、内 容的に充実した「ホンモノ書」もあるかもしれません。また、一定の品質も保たれている可能性もなくはあり ません。ですが、そのような本は「道義上の責任」という点において疑問符がつくのも事実です。こうしたこと から考えるなら、例え内容的に「ホンモノ書」であったとしても、著者名が本人になっていながら実際はゴー ストライターが書いている本は、「価値が半減する」と言ってもいいように思います。
 では、ゴーストライターの手によるものかどうかの判断はどのようにすればよいのでしょう。
 答えは、時間です。
 本を書くのには大変な労力を必要とします。その作業は精神的にも肉体的にも苦痛を伴いますが、なに よりも時間が必要です。本をどのような構成にするか、または、言いまわしをどのようにするか、そして資料 などの整理も必要です。そのほかにも様々な作業に対処しなければなりません。そして、それらをクリアす るのには膨大な時間が必要になります。そうした労力を生み出せるだけの時間があるか、を想像するな ら、自ずと著者本人によるものか、ゴーストライターの手によるものかわかるというものです。
 このように考えるなら、仕事を現役でやっている人には不可能であることがおわかりでしょう。このようにし て作られた本は、先の章で紹介しました「著者の名前を利用した」本と同じ部類の本といえます。
 基本的に、成功者が書く「自伝書」は現役を退いたあと、もしくは第一線を退いたあとに書くのが本来のあ り方です。その成功が「ホンモノ」かどうかは、結果が出たあとでないと判断できません。つまり、現役中は まだ結果が決まった状態ではなく、途中経過でしかありません。成功の姿が一時期のものに過ぎなかった という例は、これまでにもたくさんありました。成功の判定にはある程度の時間がかかるのが普通です。
 これまで書いてきましたように、現役の方もしくは第一線で活躍している方が書いた「自伝書」はゴーストラ イターの手によって書かれていると考えるのが自然です。仮に、現役でありながら、尚且つ、著者自身の手 による著作であるなら、「ゴーストライターの手によらない」という点では評価できますが、内容的には問題 がある可能性があります。
 その理由は、まさに著者自身が書いていることにあります。つまり、かなりの労力を割いて本を書いてい ることになりますから、その事実を裏返すなら、その著者は「仕事に対して手を抜いている」ことの証でもあ ります。そしてそのことは、自伝書が「価値のない本」であることを証明することにもなります。つまり「ホンモ ノ書」ではない、と判断して然るべきでしょう。
 では、現役または第一線を退いた成功者が自ら書いた本は全て「ホンモノ書」と判断してよいのか…。
 私は基本的に、成功した人たちの自伝書は「意義のある書」と評価するべきものと考えます。その成功度 合いの大小に関わらず、弱肉強食が跋扈するビジネスの世界でひとつの企業を成功に導くには、様々な困 難や難問、障害を乗り越えなければあり得ません。ですから、「度合いに」関係なく賞賛されて当然だと思い ます。
 例えば、企業の売上げが50億円の経営者と500億円の経営者、さらに5,000億円の経営者をその数字の 大きさにより優劣をつけるのは経営者に対する正しい評価のあり方ではありません。何故ならば、5,000億 円の売上げを誇る企業の経営者であったとしても、その実態は単に経済環境がよかっただけのこともあり ますし、また前任者の功績の結果がたまたま当人に回ってきただけのこともあります。大切なのは経営者 としての考え方であり振る舞いであり、その姿勢です。
 しかし、そうした経営者の実態の真偽は外部からはわかりません。口先だけ、または対外的にだけ「素晴 らしいこと」を語っている経営者が、実際の行動は正反対ということもあります。いわゆる「マスコミ対策に長 けている」という人もいて不思議ではありません。このような経営者は実際の行動が伴わなっていないので すから、その自伝書はもちろん「ホンモノ書」とはいえません。「ホンモノ書」を見ぬくには、マスコミから得ら れる情報だけでなく、その実際の姿を推察する能力も欠かせません。
 バブル崩壊後の経営者の中には、「顧客や従業員を大切にする」とか「社会に貢献する企業を目指して いる」などとマスコミで語りながら、実態は正反対の行動をとっており、ついには逮捕された経営者もいまし た。この方も「立派な自伝書」を記していましたが、このような経営者が書いた「自伝書」を「ホンモノ書」とし て読んでいては不幸です。
 こうしたことから考えますと、「自伝書」で「ホンモノ書」と言えるのは、本人ではなく第三者が取材をして書 き上げた本ということになります。本人が書くのではないのですから、そこには客観性というフィルターを通 した正確さがあります。また、自分を「よく見せよう」という成功者が陥りがちな罠を避けることもできます。し かし、このときに注意しなければならないことがあります。
 それは、第三者の立ち位置です。例えば、成功者の弟子または側近といえる立場にいる人は決して第三 者とは言えません。このような場合は、第三者ではなく本人と言ってもよいくらいです。ときには、本人以上 に当人に思い入れがある第三者の場合もありますから、そうした場合は、余計に客観性に欠けます。この ような第三者が書いた「自伝書」が「ホンモノ書」となり得るはずはありません。
 さて、これまでいろいろな視点からホンモノの「自伝書」について考えを書いてきました。そられを総合的 観点から照らし合わせてみますと、真の意味での「自伝書」とは自ずと決まってきます。当人となんのしがら みもない第三者により、詳細に取材が行なわれ、公平な分析がなされている「自伝書」です。もちろん第三 者のジャーナリストとしての力量も問われます。これらが全て適えられている本こそが自伝の「ホンモノ書」 です。

 冒頭に書きましたように、「自伝書」の「ホンモノ書」は読んでいて、心を揺さぶられることが少なくありませ ん。やはり、フィクションとノンフィクションでは読者に与えるインパクトに大きな差があります。同じ内容が書 いてあったとしても、作り物と事実では感動に大きな違いがあって当然です。「事実は小説よりも奇なり」と 言いますが、作り物でなくとも、読者を驚かせ、感激させ、感動させる事実があります。しかも、その内容が 成功物語であったなら、読者に夢を与えることができます。そして、その夢はあとに続く若い人たちの糧とな るでしょう。しかし、それも全て「ホンモノ書」であることが大前提です。
 最後に、「自己啓発書」「経営学書」「自伝書」という分類を問わず、あらゆるビジネス書を読むにあたって 肝に銘じていなければならないことを書きます。
 どれほど優れた役立つビジネス書を読もうが、読む人は一様ではありません。それぞれ個性も能力も違 いますから、全てを自分に当てはめることはできませんし、またその必要もありません。そもそもそのような ことは不可能です。そのときに大切なことは、書いてある内容を自分で咀嚼し、自分の頭で考え身体の中 に取り込む努力をすることです。書いてある内容を、真の意味で「自分のもの」にすることです。そうすること によってしか、ビジネス書を役立てることはできません。そのためには、何にもまして大切なことは、まずは 目の前の仕事に一心不乱に取り組む姿勢を貫くことです。それなくして、ビジネス書を自分の血や肉にする ことはできません。また、そうすることによってしか自分自身の感性を磨くこともできません。
 どうか、若い方々は一生懸命に働くということを一瞬たりとも忘れず頑張ってほしいと思います。
 では、読者の皆様が流行やブームに乗せられたり踊らされることなく、また上っ面なビジネス書に惑わさ れることなく、ホンモノのビジネス書に出会うことを願いつつ本テキストを終了といたします。


 最後まで、お読みくださいましてありがとうございました。

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