~する前に一覧><脱サラをする前に>*リンクフリー 無断転載禁止 2011年12月更新

禁煙をする前に(4)

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<禁煙をする前に 第 4 章>

喫煙者の中には、それほどタバコが好きでもないのに喫煙者となっている人がいます。一般的に、タバコ を吸い始める動機は「興味本位」がほとんどです。例えば、中学や高校といった思春期には多くの若者がタ バコを「吸うという行為」に憧れを持ちます。その憧れはタバコの味や匂いなど、タバコの「おいしさ」とは全く 関係がありません。ただ「吸うという行為」に興味があるだけです。
 
また、大学生になりますと、思春期の頃とは違ったきっかけがあります。例えば、コンパなどの飲み会でタ バコを吸い始める人もいます。先輩がからかい気分で勧めることもありますし、女の子の手前格好をつけ たい気持ちから吸い始める男性もいるでしょう。この年頃の若い男性にはありがちなことです。

このように考えますと、タバコの吸い始めは決してタバコそのものが好きだからではないことがわかりま す。タバコそのものとはタバコを吸った感覚のことですが、どちらかというと、最初は「まずい」と感じるのが 普通です。「まずい」と感じながらも吸い続けるのは、単に「吸うという行為」を続けたいがために過ぎませ ん。その行為を続けることによって、少しずつ喫煙者になっていき、そして、いつしか「習慣」になり、それか ら「中毒」になり立派な真の喫煙者となっていきます。このレベルにまで進みますとタバコを「おいしい」と感 じるようになっていますし、日常生活の中にタバコが深く織り込まれています。もちろん、愛煙家という表現 がピッタリな喫煙者になっています。
 
このように段階を踏んで愛煙家になっている人と違い、いつまでたっても愛煙家のレベルにたどりつかな い喫煙者がいます。例えば、他人が吸っているから「なんとなく自分も吸う」といった感じでしょうか。自分の 意思というよりは周りの雰囲気に合わせるために「吸う」感覚です。このような人の特徴は、ひとりのときに はほとんどタバコを口にしないことです。また、その吸い方には「深く吸い込まない」という特徴があります。
 
このような人たちはタバコを吸うことに執着心がありませんから、苦労することなく我慢することができま す。この言い方も正確ではありません。「吸いたい」という欲求が沸かない人たちですから「苦労」はもちろ ん、「我慢」や「辛抱」という概念さえ不要です。
 
愛煙家か単なる喫煙者かの目安は1日に吸う本数で判断できます。1日に10本以下の場合は愛煙家とは 言いません。ただの喫煙者です。真の愛煙家なら10本で済むわけがありません。最低でも20本は吸うでし ょう。
 
では、15~16本吸う人はどちらに属するか?
 
という疑問が浮かび上がります。ですが、本来、10本以下と20本以上の中間に位置する喫煙者は存在し ません。この中間の本数を吸っている人は、たまたまそれだけの本数しか吸えない環境にいたからに過ぎ ません。もし、吸える環境にいたなら必ず20本以上を吸っていたでしょう。ですから、区分わけをするなら、 10本を境にしてそれ以下とそれを越える本数で愛好家かどうかを決めてもよいでしょう。
 
というわけで、1日に10本以下しか吸わない喫煙者は、実は、本当は、それほどタバコが好きな人ではあ りません。ですから、大して苦労することもなく禁煙ができます。みなさんの周りにもいるのではないでしょう か。なんの苦労もなく簡単に禁煙に成功した人が…。
 
もし、このような人たちから愛煙家が禁煙のノウハウを聞いたとしても参考にはなりません。当然です。 元々タバコが好きではなく「習慣」も「中毒」もないのですから禁煙をするのは簡単だった人たちです。そうい う人たちが「愛煙家に参考になるノウハウ」を持っているはずがありません。愛煙家の方々に参考になるの は、禁煙への「兆戦と失敗」をなん度も繰り返しながらやっとの思いで禁煙に成功している人のノウハウで す。愛煙家が参考にすべきは愛煙家の禁煙成功例でしかありません。

さて、そこでいよいよ私の禁煙成功例のお話です。私も正真正銘の愛煙家でしたので、禁煙を続けるの は容易ではありませんでした。あっ、「でした」と過去形で書くべきではありません。これまでにも書きました ように、いつなんどきまた吸い始めるかもしれせん。正しくは「ありません」と進行形で書くべきものです。

「進行形」に過ぎない状況ではありますが、一応は禁煙が続いております。その私も喫煙者時代は、立派 に「習慣」であり「中毒」となっていました。その私が禁煙を継続できているのは、それは「タバコを忘れるこ とができた」からです。それまでなん度も禁煙に失敗していたのは、なまじっか「禁煙を強く意識した」ことが 原因でした。禁煙を意識するということはそれだけタバコのことを考えていることでもあります。タバコを愛し てやまない愛煙家が、タバコのことを考えていて禁煙などできるはずもありません。例え、禁煙についてで あってもです。愛煙家にとって、タバコが意識の中にあって禁煙を継続することは不可能です。間違いなく 短期間で終わってしまいます。愛煙家が禁煙を継続する方法は「タバコを忘れること」以外にありません。
 
タバコを忘れることは、即ち、禁煙することも忘れることですが、それでよいのです。なにやら哲学めいた 言い方になってしまい、まるで高邁な哲学者か悟りを開いた高僧になることを求めているようですが、それ しか方法はありません。「禁煙している」と意識することさえ忘れている状態が理想的な禁煙の状態です。
 
そうは言いましても、哲学者でも高僧でもない凡人の私ですので、禁煙継続中の今でもタバコを吸いたく なる「とき」があります。そして、その「とき」が来る時間は決まっているわけではありません。突然、なんの前 触れもなしに「とき」はやってきます。「やってくる」より「襲ってくる」のほうが相応しい表現でしょうか。
 
例えば、パソコンの前に座った瞬間とか、家に着いて鍵を置いた瞬間とか、タバコとはなんの関連もない ときに、なんの脈絡もなく襲ってきます。本当にランダムです。もちろん、テレビドラマの喫煙シーンを見ても 襲ってくることがあります。
 
このように、少なくとも1日に1回は吸いたくなる気持ちが沸き起こりますが、あとから冷静にその「とき」を 思い返してみますと、必ずと言っていいほどタバコのことを思い出していました。つまり、タバコを思い出して しまったがゆえに吸いたい気持ちが沸き起こっていたのです。タバコのことさえ頭の中から、または意識の 中から消し去ることができたなら、自ずと「吸いたい」という気持ちなど起きません。
 
私はこれまで禁煙が挫折してしまう要因として「慣習」と「中毒」を上げました。そして、「慣習」よりも「中毒」 のほうが要因として大きい割合を占める、と書いてきました。しかし、ここにきて考えが変わりつつありま す。
 
先に書きましたように、私は禁煙を始めて既に3ヶ月が過ぎていますが、それでもたまにタバコを吸いたく なるときがあります。もし、「吸いたくなる」要因が「中毒」によるものであるなら、もうとっくにタバコを吸いた いという欲望などなくなっているはずです。「中毒」による禁断症状が3ヶ月も続くとは思えないからです。そ こで、私は考えました。今現在、タバコを吸いたくなる要因は「中毒」ではなく「慣習」なのではないか、と。
 
禁煙を始めて1週間あたりまでは「中毒」が要因で禁煙をやめたくなっていたのかもしれません。もしかし たならもう少し長いかもしれませんが、それでも1ヶ月くらいが上限と考えるのが常識的です。「中毒」という 依存症がそれ以上続くとは考えにくいものがあります。つまり、今現在、吸いたくなる要因は「習慣」と考え るのが妥当なように思います。
 
「習慣」であるなら、全ての辻褄が合います。私は、今現在の喫煙渇望感を「意識の中からタバコを打ち 消すこと」で解消しています。このような対処方法は「習慣」での喫煙渇望感にのみ通用するやり方です。間 違っても「中毒」での喫煙渇望感に対しては通用しません。

さて、いよいよ結論です。私の禁煙成功経緯を整理することにしましょう。
 
基本的に私の禁煙ノウハウは初めの1週間とそのあとに分けて考えます。当初の1週間はとにかく「吸わ ないという強い意志」を持ち続けます。単純なことですが、これしか方法はありません。人によっては根性を 必要とするかもしれません。これまでに書きましたように、1日を過ごす間になん度も押し寄せてくる強い喫 煙渇望感を抑え込み、なにがなんでも1日を終えます。
 
それができますと、次は「1日禁煙できた」という自信を活かして翌日も喫煙渇望感を抑え込みます。本文 中でも書きましたように、その好循環を1週間7日続けます。「1週間なんて無理」などと思ったあなた、絶対 できます。なにしろ1日できたのですから7日できないはずはありません。
 
7日を過ぎたとき、次は「タバコを忘れてください」。なにがなんでも「忘れてください」。頭の中、意識の中か らミクロの単位、いえナノの単位でさえタバコの存在を消し去ってください。
 
このようにすれば、あなたも必ずや禁煙に成功するでしょう。もし、禁煙に失敗したらどうするか?
 
答えは簡単です。また兆戦すればよいのです。諦めずに再度兆戦すればよいのです。私なんてなん度失 敗したことか…。
 
費用が全くかかっていないのですから、なんの問題も、なんの損失もありません。そう思えば、失敗するこ とを楽しんでもよいではないですか。禁煙という行為の素晴らしいところは、兆戦する回数に制限がないこと です。野球ならスリーストライクでアウトです。サッカーなら制限時間内に得点を上回っていなければ負けで す。それに比べ、禁煙にアウトや負けはありません。禁煙に頓挫することは、負けたことではなく、また新た な「スタートラインに立つ」ことを意味します。そうです。なん度でもスタートラインに立てるのですから、落胆 することはありません。もし、禁煙に失敗したなら胸を張ってスタートラインに立ってください。
 
私の禁煙応援テキストもこれで終了です。タバコを止めてマイナスになることはなにもありません。是非と も、兆戦することを、そしてできれば成功することを願っています。

最後に、実は、今回私が禁煙が成功しているのにはあとひとつ大きな要因があります。もしかしたなら、こ ちらのほうが本当の理由かもしれません。そのキーワードは「自由」です。

私は自由でいることを信条としています。ですから、会社員ではなく自営業者の道をずっと歩いてきまし た。喫煙もそのひとつです。タバコを吸うことは自由の象徴という気持ちがありました。ですから、嫌煙権な ども含めて社会的風潮で喫煙を制限されることに反発心を抱いていました。ですから、「タバコを吸いたい」 という自然に沸き起こってくる気持ちのとおりに行動すること自体に意義がありました。喫煙をするという自由を謳歌することです。

ところが、ある日ふと疑問が浮かびました。

「タバコを吸いたい」という気持ちは本当に自分の気持ちなのだろうか…。

これまでに書いてきましたように、タバコは中毒です。ニコチンが脳に命令を出してタバコを吸いたくさせ るのが中毒の根本です。そう思った瞬間に気持ちが醒めてしまったのです。「タバコを吸いたい」という気持 ちは自分の気持ちではなく、ニコチンが思わせている気持ちだと悟ったのです。
 
そうなのです。
 
「タバコを吸いたい」という気持ちは、実は私自身の気持ちでは全くなかったのです。そう思った瞬間に喫煙に対する 渇望感がシラけてしまいました。

 読者の皆さんも私と同じように喫煙に対する気持ちがシラけることを祈っています。

 それでは、最後までお読みくださいましてありがとうございました。

追伸:2022年3月1日の時点でまだ非喫煙者のままです。

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