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~する前に一覧><脱サラをする前に>   無断転載禁止 2011年12月更新

田舎暮らしをする前に(3)

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<第3章>

小売業界において、近年、デパートの業績が低迷していることはご存知でしょう。ここ数年、デパートは業 績が昨年より落ちている状況が続いています。その理由は幾つかありますが、一番大きな理由は「価格」で す。同じ商品または同品質の商品が専門店やディスカウント店に比べ高いからです。消費者の誰が好き好 んで同じような商品を高く買うでしょう。
 

では、なぜデパート以外の小売業が安い価格設定をするかといえば、それは競争があるからです。競争 は「商品の価格を低下させる」効果があります。そして競争が起きる前提として消費者に選択の幅が広がっ ていることが必要です。買う店がたくさんあるなら、それだけ消費者は見比べることができますから、消費者 が「より安い」商品を買うのは当然の行動です。
 

このような実態の中で、田舎暮らしを思い浮かべてみましょう。田舎にはお店がそれほど多いわけではあ りません。つまり、競争がそれほど起きていないことを意味します。競争がないのですから、当然、価格は 高くなります。消費者は選択する余地がないのですから、お店側としては商品の価格を高くしたままでも売 ることができます。
 

例えば、ガソリン代。以前に比べますと、都会でもガソリンスタンドの数は減ってきていますが、それでも 田舎に比べるなら幾らでも目にすることができます。少し走ればガソリンスタンドはすぐに見つかります。そ のような状況では、各ガソリンスタンドは他社に負けまいとして価格を安く設定します。
 

しかし、田舎においてはガソリンスタンドは多くはありません。ですから、競争など起きるはずもありませ ん。また、物流コストまで考えますと、都会より高くなっていても不思議ではありません。
 

ガソリン代を考えてみてもわかるように、田舎暮らしでの「生活費」が安く済むという考えは的を得ていま せん。確かに、都会より安い価格の商品もありますが、全体的には、田舎という不便な環境であることが、 逆に生活費を高くしているものも多々あります。このように、田舎だから「生活費がかからない」という発想 は安易すぎます。そのような発想の元に田舎暮らしを考えるのはとても危険です。
 

これまで、田舎暮らしでは都会人が思っているよりも「生活費がかかる」話を紹介してきました。しかし、最 近では「生活費がかかる」以前の問題も起きています。それは、「買い物難民」です。
 

田舎においては、これまで述べたような理由で「商品価格が高く」なる傾向がありますが、それでも商品が 手に入ることではあります。この状況を企業側から考えますと、高い価格設定だからこそ経営が成り立つ、 と言えます。民間企業では利益が出ることが必須条件です。もし、商品価格を高く設定していたとしても、赤 字であるならば出店している意味がありません。ところが、最近の田舎では、過疎が進み過ぎ買い物客の 総数が減少してしまいました。その結果撤退する企業が続出しています。そうした状況が「買い物難民」を 発生させてしまっています。
 

小売業の閉鎖は企業に限りません。個人商売のお店でも儲けが出ないなら閉店せざるを得ないのは同 様です。このようにして、地域からお店がなくなり「買い物難民」と言われる人たちが発生したのです。田舎 暮らしを考える際は、このような不便さを受け入れる覚悟も必要です。
 

田舎暮らしにおいて「生活費が思いのほか安くない」のは、都会人からしますと、思惑違いでしょうが、そ のほかにも「思惑違い」はあります。それは、「気晴らし」です。
 

「ゆとり」や「癒し」を求めて田舎暮らしを望んだにも拘らず、「気晴らし」というのは不思議に思うかもしれ ません。「気晴らし」という表現は抽象的過ぎますので、言葉を変えるなら「気分転換」としましょう。どんな生 活環境であろうと、人間には「気分転換」が必要です。
 

都会人が田舎暮らしに憧れるのは田舎暮らしに「癒し」などを求めるからです。これはある意味、「気分転 換」と同質のものです。都会での生活で閉塞感や窮屈感を感じ、それらから開放されたい、という願望で す。都会生活では得られない開放感を得たいからです。このことは見方を変えるなら、日常からの逃避とも 言えます。田舎暮らしには、都会の日常とは違った生活があるのは確かです。その意味で言うならば、たま に田舎に出かけて自然を満喫するのなら目的を達成したことになります。しかし、田舎「暮らし」となるとそう はいきません。なぜなら、田舎暮らしが日常になるからです。田舎暮らしが普段の生活になることです。そ のような状況では、田舎暮らしは間違っても「気分転換」にはなりません。そうしますと、田舎暮らしにおいて も「気分転換」を求めることになりますが、そこに問題があります。
 

「気分転換」には、ストレス解消の目的がありますが、そのための施設を一般的に言うならば娯楽施設で す。例えば、お酒を飲むお店やパチンコ店、そしてちょっと文化の匂いが漂うものとしては美術館などでしょ うか。こうした娯楽施設は、都会では自分が生活している範囲内に必ず幾つかはあります。しかし、田舎で はそうではありません。地域によっては、1つでもあればいいほうで、全くない地域もあります。都会でも、生 活圏内に娯楽施設がないこともありますが、少なくとも少しばかり遠出をすれば必ず見つかります。しかし、 田舎ではかなり遠くへ出かけなければ見つかりません。娯楽施設に通うために多くの費用と時間を取られ るのは面倒なもので、出かけるのも億劫になるのが普通です。つまり、「気分転換」を容易にできないことで す。そして、費用と時間を大幅に取られる「気分転換」は「気分転換」とはなり得ません。
 

いくら真面目一辺倒の人でも、同じことの繰り返しの生活には耐えられないでしょう。やはり、どこかで「気 分転換」は必要です。人間はそのようにできている動物です。その証拠に、都会生活から逃れたいがため に田舎暮らしに憧れを持ったのですから…。

人間には「気分転換」が必要ですが、それでも中には「田舎暮らし」そのものに満足して「娯楽施設などは 必要ない」という人もいるかもしれません。自分が夢にまでみて望んだ田舎暮らしですから「田舎暮らしが娯 楽だ」という人もいるでしょう。また、娯楽施設くらいなら「なくても我慢できる」という人もいるでしょう。しか し、医療施設に関してはどうでしょう。
 

人間は機械ではありませんから、病気になることもあります。病気になったときは我慢するわけにはいき ません。無理をして我慢をしていると益々病状が悪化することもあります。田舎暮らしを満喫できるのも健 康であってこそです。健康なくして、田舎暮らしもなにもありません。
 

先に、「人間は機械ではありません」と書きましたが、現在の文明生活において田舎暮らしといえども家電 製品という「機械なし」で生活することはできません。生活上のあらゆる場面で機械は必要とされています。 電話からテレビ、冷蔵庫など生活するうえで必需品となっているのが現代の人間社会です。田舎だからと いって、というより田舎だからこそ機械は必需品といえます。その機械は年月が経つと必ず故障する運命 にあります。その際には修理が必要ですが、修理の依頼も田舎では容易ではありません。修理費用もさる ことながら、出張してもらうのもままならないことがあります。ときには緊急な修理の必要に迫られることもあ りますが、田舎であるがゆえにすぐに対応してもらえないこともあります。そうした不便さも承知している必 要があります。
 

それはともかく、病気になったときは医療施設が近くにあることが望ましいですが、田舎ではそれも充実し ているとはいえません。都会のように医療施設が生活圏内にあるわけではないからです。人間にとって医 療施設が整っていないことほど不安なことはありません。病気は、小さな判断ミス、手遅れから重大な病気 に発展することもあります。人間が生活するうえで、医療施設が整っていることは最低限の条件といえるで しょう。実は、田舎暮らしの一番の不安点はこの医療施設の欠如です。

<第3章>おわり。

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