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~する前に一覧><脱サラをする前に>   無断転載禁止 2011年12月更新

田舎暮らしをする前に(4)

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<第4章>

前章で書きました医療施設は公共施設の1つですが、全体的に見て、田舎暮らしの問題点は公共施設が 充実していないことです。型式ばった言い方をするなら、社会的インフラが整っていないことです。
 

例えば、役所や学校などは住民が満足するサービスを提供することはできていません。その理由は財政 が苦しいからですが、その財政が苦しい根本的な理由は、一重に人口が少ないからで、過疎だからです。 第1章の冒頭で紹介しました「セミナー」が開かれたのも、田舎の最も大きな問題点である「人口減」に対処 するための1つの方策でした。「人口減」という過疎の問題が田舎における最大の悩みです。そして、そのこ とが田舎から「便利さ」を失わせています。
 

このように、「便利さ」との対極にある田舎で「暮らしたい」と考える都会人は「田舎暮らし」になにを求めて いるのでしょう。私がセミナーに参加したのは「なんとく田舎に憧れていた」からですが、この「なんとくなく」 が曲者です。「なんとなく」とは、漠然と、田舎暮らしに桃源郷を見ていることです。しかし、田舎暮らしが「日 常になる」ことを自覚するなら、田舎暮らしに桃源郷を見ることに無理があることがわかるでしょう。
 

先に書きましたように、田舎暮らしは「金銭的に余裕のある人」が成功する確率が高いのですが、だから と言って、金銭的に余裕のある人なら誰でも成功するというわけでもありません。なぜなら、過疎である田 舎といえども自分たち家族だけで生活するわけではないからです。どんな田舎であろうと地元の人たちの 存在を無視して生活することはできません。というよりは、地元の人たちとの交流を尊重せずに田舎暮らし を成功させることはできません。
 

幾度も書いていますが、地元の人たちにとっては都会から移住してきた人たちはヨソ者でしかありませ ん。役所がいくら移住者を求めていたとしても、全ての地元人が移住者を歓迎しているわけではありませ ん。中には、快く思っていない人もいて当然です。そうした人たちの中に入って生活することを覚悟すること が大切です。そうした状況を受容できる人だけが田舎暮らしを成功させることができます。
 

繰り返し書きますが、都会人が田舎暮らしをするうえで苦痛に感じる大きな要因は「不便さ」です。しかし、 「不便さ」は物理的なものに過ぎません。そして、物理的なものは、努力と工夫と辛抱によって幾らかはカバ ーすることのできる類のものです。しかし、田舎暮らしをするうえで苦痛と感じるものは物理的なものだけで はありません。それは、精神的な面です。具体的に言うなら、人間関係です。地元の人との人間関係を適 切に築けるかどうかが大きなポイントです。都会人が田舎暮らしに成功するかどうかの決め手は、この「地 元人との関係」にかかっているといっても過言ではありません。なにしろ、都会人と地元人とでは価値観が 異なっているのですから。
 

今テキストの冒頭で紹介しました「田舎暮らしに殺されない法」(著:丸山健二)には、都会人が陥る精神的 な苦悩について具体的かつ的確に書いてあります。ここから先は、主にこの本を参考にして、都会人が感 じる「精神的苦痛」について書いていきたいと思います。

 

「村八分」という言葉をご存知でしょう。この言葉は「村の意見が1つにまとまることを強制」することを示し ているとともに、「従わない者への懲罰」があることを示しています。「村」を「田舎」と言い替えてもよいと思 いますが、都会人からしてみますと、田舎では人権がないようにさえ感じてしまいます。
 

都会では、「隣人がどんな人物か知らない」いったことが言われますが、基本的に地域住民の結びつきは 強くはありません。この都会特有の特質は、人によってはマイナス面と捉えることがありますが、個人のプ ライバシーの確保といった面ではプラスの要因でもあります。地方から都会に出てくる若い人の中には、田 舎特有の「地域での深く強い結びつき」に閉塞感を感じ、地方を飛び出した人もいるように思います。住民 の結びつきが強いことは、それだけ個人の自由が束縛されることでもあります。そうした田舎特有の風習や 慣習、一言で表せば「しきたり」ですが、その「しきたり」を受け入れることが田舎暮らしの要諦となります。
 

「地域住民の結びつきが強い」ということは個人が「好き勝手に」行動できないことです。常に、周りに合わ せることを求められます。その「周り」とは、その地域を取り仕切っている「長」です。この「長」の意向を無視 していては生活を快適に送ることはできません。
 

例えば選挙。都会では基本的に多くの人が「浮動票」です。締め付けの強い業界や労働組合などといっ た組織に加入している場合を除いて、都会では誰に投票するかは自分の意思で決めることができます。し かし、田舎では「浮動票」でいることは容易ではありません。「長」に指示された候補に一票を投じるほかに 道はありません。ここにも田舎の特質である住民の結びつきの強さが表れています。しかも、プライバシー がないに等しい環境ですから、自分の意思を表明することは不可能に近い環境です。
 

田舎には「不便さ」がありますから、普段生活するうえで周りの住民の力を借りなければならない場面に 遭遇することも多々あります。そうしたときに、地元の一員として認められていることは最低条件です。そし て、認められるための要件は日ごろから地元人の意向から外れない行動をとっていることです。もし、普段 から独自の行動をとり周りから浮いていたなら、困難が生じたときに周りの力を借りることはできません。困 難に遭遇しそれらを解消するには地元人の一員になっていることは最低限の条件です。仮に、普段の生活 を「スムーズ」に送れないなら、それはなにもできないことと同じです。つまり、田舎で暮らすことはできない ことになります。
 

田舎の「しきたり」を理解するには、地元人に溶け込む努力が必要です。「溶け込む」際には、付き合いを 深めることを避けて通れません。そして、付き合いを深めるということはプライバシーがなくなることでもあり ます。「公」と「私」の区別がなくなることです。「田舎暮らしで殺されない法」という本には、そうしたことが事 細かく書いてありますが、都会人の普通の感覚では、耐えられないかもしれません。極端に言うなら、個人 としての人権が無視されることであり、さらに言うなら、相互監視の側面さえあります。それほどの深い付き 合いを求められます。プライバシーを重要視する考えの人には不可能な付き合い方です。
 

付き合いが深まるにつれ、お互いの価値観が露になりますが、そのときに都会人の価値観を前面に出す なら、地元に溶け込むことは不可能です。先に、「都会人が田舎暮らしに成功する条件」として「金銭的に余 裕のある人」と書きましたが、そのような人たちは都会で仕事をしていたときに、比較的高い社会的地位に いた人がほとんどです。そして、そのような人たちの特徴として、多少なりとも優越感を持っている傾向があ ります。社会的地位が高いということは、それだけ自分の意見が尊重される経験が多いことですし、周りか ら持ち上げられる経験が多いことです。そのような人たちは、自分では気がつかない間に、心の中に優越 感が宿っていることが多いものです。自分でも気がつかないのですから、表に出ることは稀です。優越感が 表に出る場面に遭遇する機会も少ないのが都会で働いているときの状況です。ですから、優越感は心の奥 底に潜んでいますが、付き合いが深まるにつれて、心の奥底に潜んでいた優越感は滲み出てきます。その ときに、優越感を地元の人に察せられたなら、反発されこそすれ溶け込むことは不可能でしょう。
 

優越感は他人との比較においてのみ感じるものです。ほかに比べる人がいなくては優越感など生じること はありません。他人の存在は「優越感を持つ」にはなくてはならないものですが、その根本には「他人の視 線」があります。つまり、優越感を生じさせる根底には、「他人の視線」があるのです。優越感を持つ人は、 「他人の視線に映る自分」を見ています。簡単に表現するならば、他人の視線を意識する、他人の視線に 応えることに自らの行動が動かされていることになります。
 

先に、ペンション経営について書いたところで、開業当初に友人知人をペンションに招く話を書きました。 この行動には、ペンションを宣伝する意図もありますが、同時に友人知人の視線を意識した要素も含まれ ているのが普通です。つまり、「賞賛される」ことによる優越感です。
 

同じような光景として、田舎暮らしを始めた人が、やはり友人知人を自宅に招待することがあります。これ などは、宣伝する必要など全くないのですから、全面的に他人の視線を意識した行動です。通俗な言い方 をするなら、「自慢する行為」です。このような場合の「田舎暮らし」は成功する確率はとても低いものがあり ます。実際、田舎暮らしを始めたあと、数年後に都会に戻っている人たちにこうしたケースが数多く見受け られます。そこには純粋に「田舎暮らし」を所望する気持ちはありません。他人の視線を意識した行動だけ で成功するほど「田舎暮らし」は甘くはありません。
 

「田舎暮らしで殺されない法」の著者である丸山氏は、この点を最も言いたかったように思います。そし て、丸山氏は人生についても同じように訴えているように感じました。他人の視線を意識した人生ほどつま らないものはありません。自分の人生は、他人の視線などを意識して生きるものではありません。人生は、 自分のために生きるべきものです。他人の視線を意識し、他人の視線において優越感を持ちたいがため の人生などなんの意味があるでしょう。都会人が「田舎暮らし」を考えるとき、それは自分の人生を見つめ、 考えるときでもあります。

<第4章>おわり。

最後まで、お読みくださいましてありがとうございました。

参考文献:田舎暮らしに殺されない法 (朝日文庫) (著)丸山 健二

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